なみにつる 浪に鶴-額装
江戸期京都派を代表する画人
彩美版®シルクスクリーン手摺り・額装
限定800部
版元シール
画寸(縦x横):
65.2 x 36.6 cm
額.軸寸(縦x横x厚):
83.0 x 54.4 x 4.2 cm
作品状態:良好
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作品概要
伊藤若冲は、85歳で亡くなるまで絵を描き続け、生涯を通して絵に人生を捧げました。作品の魅力のひとつは、精緻な筆遣いです。「白鶴図」では、羽の細い線が1ミリメートル以下の等間隔に、正確な筆致で描かれています。驚嘆に値する集中力で描いたのでしょう。また、生命力や強さのある独創的な構図もポイントです。「波に鶴」の渦巻はデザイン化され、若冲らしい様式になっています。若冲は時代を超えて、平成以降に注目されるようになった稀代の画家です。2016年に東京都美術館で
行われた回顧展では、3日間の会期中に入場者が44万人以上を記録し、社会現象となりました。また日本中はもとより、海外の評価も高まっています。2018年、欧州では初となる若冲展がパリのプティ・パレ美術館にて行われました。オープン直後から脚光を浴び、芸術の都パリの市民に感銘を与える展覧会となりました。絵に生きた若冲の瀟洒な作品の魅力は、時代や国を超えて受け入れられ、人々の心を惹きつけています。
伊藤 若冲1716年(享保元年)~1800年(寛政12年)
経歴
1716年(享保元年) 京都の青物問屋「桝源」主人三代伊藤源左衛門の長男として生まれる。幼名不詳。
1738年(元文3年) 父源佐衛門、四二才で没。若冲四代目源佐衛門となる。
1755年(宝暦5年) 次第白歳に家督を譲り、画業に専念する。
1764年(明和元年) 金刀比羅宮奥書院に赴き障壁画作成。
1765年(明和2年) 釈迦・普賢・文殊像三幅対、および花鳥図「動植綵絵」二十四幅を相国寺に寄贈。
1975年(安永4年) この年板行の「平安人物志」に、応挙、若冲、大雅、蕪村の順で載る。
1790年(寛政2年) 大阪西福寺および伏見海宝寺にて障壁画作成。
1799年(寛政11年) 石峯寺本堂天井画花卉図作成。
1800年(寛政12年) 九月八日没。十月二十七日相国寺で法要行われる
1889年(明治22年) 相国寺、「動植綵絵」三十幅を宮中へ献納、金一万円を下賜される。